1998年、およそ5年ぶりに斉藤光浩は表舞台での活動を再開した。ひとつはBOW
WOW、そしてもうひとつはKIT16のメンバーとして。
BOW WOW |
山本恭司 |
斉藤光浩 |
新美俊宏 |
Guitar、Vocal |
Guitar、Vocal |
Drums |
BOW WOWの復活は、光浩がディレクターを担当していたPenicillinのドラマー、O-JIROのソロ・プロジェクトに山本恭司(元BOW
WOWのギタリスト)の参加を要請したことに端を発する。山本の提案でオリジナル・メンバーの山本・斉藤・新美俊宏の3人が揃い、15年ぶりにBOW WOWが復活したのは1998年、斉藤光浩40才の年であった。既に音楽業界から退いていたベースの佐野賢司の参加はかなわなかったが、ライブにはゲスト出演という形で数曲参加することもある。98年の赤坂BLITZの復活ライブには作詞家の森雪之丞をはじめ、B'zのTAK松本氏らBOW WOWに影響を受けたミュージシャンの姿も多数見受けられた。翌99年には新宿リキッド・ルームで2DAYSライブ、結成25周年にあたる2000年には東京会場のほか大阪、札幌で地方ライブを敢行、2001年にはロックイベントに参加、6月には初のアコースティックライブが予定されている。この間、ライブ盤を含む4枚のフルアルバムとミニアルバム1枚、ライブビデオ1本をリリースするなど単なるトリビュート・バンドの域を越えた活動を展開している。しかし、メンバーそれぞれが個人活動の合間を縫って活動しているため、今後も通年を通じての活動は望めそうもないが、「もう解散はしない」とのファンとの約束を果たすべく、今後も独自のスタンスで活動を継続していってくれることだろう。
KIT16 |
田中一郎 |
斉藤光浩 |
河村KAASKE智康 |
Guitar、Vocal |
Bass |
Drums |
BOW WOWの復活とほぼ時を同じくして、光浩は田中一郎が結成したKIT16(キット
シックスティーン)のベーシストとしても活動を開始する。KIT16は田中と数々のミュージシャンのセッションで活躍していたドラムスの河村KAASKE智康を中心に、ベースに元ONE
BOY PLAYERSの榎本高、ギターに元甲斐バンドの大森信和を迎え1995年に結成、「KIT16」
「Let's Fly Out」の2枚のアルバムを発表。
大森の体調不良により98年春から田中・河村・斉藤のラインナップとなり、99年には新メンバーによるアルバム「VEX
& CAVE」をリリース、2000年には名阪ライブを敢行、2001年1月にはKIT16としては4枚目のアルバム「AAA」を発表した。BOW
WOW同様、メンバー各々がプロデュース活動・セッション活動等の合間を縫って活動しており、バンド自体も出入り自由な開放的な雰囲気がある。現在のメンバーになり既に2年が経過、バンドの音も確立された感があるが依然、大森信和の復帰を望む声も根強く、今後のKIT16の成り行きが注目される。
一説によるとアーティストの感性が通用するのは一世代下、あるいはせいぜい二世代下まで。あとはかつて熱狂した人々の郷愁のなかでその生命を保つと言われる。かつて我々を熱狂させたBOW
WOW、ARB・甲斐バンドの流れを汲むKIT16・・・彼等は、はたして時代を超越した存在となるのか、それとも時代と無関係な孤高の存在となるのか。あるいは郷愁のなかでのみ生き続けるのだろうか?その答えは21世紀に彼等が出してくれるはずである。
*「BOW WOWとKIT16、どっちも斉藤光浩だぁ〜っ!」という管理人のポリシーで両方一緒に時系列に並べてあります。見づらくてすいません(^^;;;
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